座喜味城跡(中部・世界遺産)
城壁の上からは首里、那覇をはじめ、慶良間諸島や久米島までも眺望できるそうですが、
登るころには雲がでて霞んできてしまい、残念ながらそこまでは見えず。
それでも十分素晴らしい眺望と美しい城壁に大満足でした。
通称「ゾウの檻」と呼ばれる楚部通信所も見えました。
[座喜味城の豆知識]
那覇より車で北上すること1時間、読谷村の標高127mの小高い丘に立つ。
通常、沖縄の城は琉球石灰岩の岩盤の上に築かれるが、座喜味城は赤土の台地に築かれた珍しい城。 やわらかい地盤を強化し崩れにくくするために、城壁をびょうぶ状にしたり、幅を広げるなどの工夫がされている。
城は2つの郭からなる連郭式で、一之郭と二之郭それぞれにアーチ門がある。 アーチ石のかみ合う部分にクサビ石がはめられており、これは現存する中で最も古いと考えられている。
沖縄戦では一の郭内に日本軍の高射砲人事がおかれ、戦後は米軍のレーダー基地が建設されたが、返還後復元された。
周辺にある松林は戦争で一度すべて焼けてしまったが、戦後残っていた種から自然に生え今の姿に至るそうだ。
2000年11月世界遺産登録。
[歴史]
15世紀初、名高い建築家、護佐丸によって築かれたといわれる。護佐丸は当初山田城を居城としていたが、中山尚巴志の北山城攻略に参戦。戦後処理のために北山城に留まり、その間にこの座喜味城を築城した。のち首里政府かの命で中城城へ移るまで、この城で過ごしたといわれる。
那覇より車で北上すること1時間、読谷村の標高127mの小高い丘に立つ。
通常、沖縄の城は琉球石灰岩の岩盤の上に築かれるが、座喜味城は赤土の台地に築かれた珍しい城。 やわらかい地盤を強化し崩れにくくするために、城壁をびょうぶ状にしたり、幅を広げるなどの工夫がされている。
城は2つの郭からなる連郭式で、一之郭と二之郭それぞれにアーチ門がある。 アーチ石のかみ合う部分にクサビ石がはめられており、これは現存する中で最も古いと考えられている。
沖縄戦では一の郭内に日本軍の高射砲人事がおかれ、戦後は米軍のレーダー基地が建設されたが、返還後復元された。
周辺にある松林は戦争で一度すべて焼けてしまったが、戦後残っていた種から自然に生え今の姿に至るそうだ。
2000年11月世界遺産登録。
[歴史]
15世紀初、名高い建築家、護佐丸によって築かれたといわれる。護佐丸は当初山田城を居城としていたが、中山尚巴志の北山城攻略に参戦。戦後処理のために北山城に留まり、その間にこの座喜味城を築城した。のち首里政府かの命で中城城へ移るまで、この城で過ごしたといわれる。
DATA
【住所】沖縄県中頭郡読谷村座喜味708-4
【TEL】098-958-3141(資料館)
【観覧時間】見学自由
【観覧料】無料
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